溝咋神社の上宮があったといわれている所です。 調査によりこのあたりには、条里制に伴う溝が発見され、奈良時代から明治時代まで水は流れ続けたといいます。 そしてその溝には、水の流れを制御する杭が多数打ち込まれていました。 そのことから溝咋(杭)といわれているようです。 弥生時代後期~中期(1800~2100年前)頃にはムラが形成され、古墳時代前期頃までがムラの一番栄えた時期だったと考えられています。